「ふたつの橋ものがたり」

「ふたつ」つながりで。下記はまたまた勘緑さんがコロナ自粛中に自宅屋上でパフォーマンスしてくれた動画で、古謝美佐子の「恨む比謝橋」と「天架きる橋」の橋繋がりの2曲。
前半の「恨む比謝橋」は1600年代に実在した沖縄の女流歌人「吉屋チルー」作の琉歌をもとにした曲.。
チルーはわずか7~8歳の若さで生まれ故郷の恩納村から那覇の遊郭に売られるその道中で、途中に掛けられているこの比謝橋さえなければ私は遊郭に売られずに済んだのに、と我が身の運命を嘆く恨みの琉歌が1番。
2番は那覇の遊郭から故郷を想い、3番は死期が近くなったことを悟る琉歌。
最後の4番はチルーが若くして病死した直後にどこからともなく聞こえてきた、という歌。
このパフォーマンスは「古謝勘」人形ユニットのオリジナル作品「吉屋チルー物語」の中の挿入歌でもある。
今は国道58号線で読谷村と嘉手納町を結ぶこの比謝橋のほとりには、1番の琉歌の歌碑が建っている。昔はこの動画にあるように木製の橋であったはずだが、今はもちろん立派な鉄骨の橋となっている。
ただ、その下を流れる比謝川の水は、昔は綺麗だったはずだが、しかし現在の川はひどく淀んで濁っていて、嘉手納生まれの古謝美佐子は生まれてからこの方「この川が澄んでいるところを一度も見たことがない」と話している。それは何故か。この川上には嘉手納米軍基地があり、米軍は基地の汚染物を好き放題に垂れ流しにしているからだ。
戦後〜最近までの沖縄県の白血病の発症率は全国でも最上位に位置する。
2020.6,22 記

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