「1945の春」

勘緑さんのモノクロ動画つながりでうないぐみ「1945の春」を。
今日6月23日前後は毎年、沖縄戦の追悼公演に出演してきましたが今年は自粛中止なので、代わりに動画で人形とともに慰霊追悼いたしましょう。
しかし1945年の沖縄地上戦と今年の新型コロナ感染の状況は3月頃に始まって夏前まで続くという時期がぴったりで、、もちろん戦争とコロナは全然違うけれど、、。
沖縄では一応6月23日に日本軍司令部の自決で組織的戦闘が終わった、ということで慰霊の日として戦後に後付けされているだけで、当時はもちろんこの日に「戦争終わりました」などという発表があったわけでも何でもなく、このあともあちらこちらで散発的な戦闘は続いていたし、8月15日に終戦したことを知った島民も少なかったのではないだろうか。
元沖縄県知事の太田昌秀氏は当時20歳で鉄血勤皇隊として軍に配属され戦禍の中、幸運にも九死に一生を得るがその敗戦を知ったのはこの年の9月で、道端に落ちていたアメリカの新聞の見出しを見てわかったという。

新型コロナもこの日に「終わりました」などという宣言があることも無くこのままの状況が当分続き、そのうちいつのまにか終わっていた、ということになるのだろうか。

ただ忘れてならないのは、厚生労働省国立感染症研究所の前身は戦前の日本陸軍731部隊であり、この部隊は戦前から戦中にかけ密かに人体実験による生物兵器開発を行っていたのだが、現在もその秘密主義、自前主義の傾向が残っていて大事な情報を隠蔽し独占しようとする体質が当時とあまり変わっていないように思えてならない。

2020.6.23 記

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